ドラマ「金田一少年の事件簿」第1シーズン(堂本剛Ver)【第5話”首吊り学園殺人事件”感想】改変で大変に不可解になって残念

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ドラマ「金田一少年の事件簿」第1シーズン(堂本剛Ver)【第5話”首吊り学園殺人事件”感想】改変で大変に不可解になって残念

※この時期は<2022年4月16日>に執筆したものを再掲載したものです※

この話も1話完結。(原作単行本は9,10巻収録)やっぱり尺が足りない。そんないつもの不満をさし置いても不可解が多く見られた回だった。
 
なぜか原作の浅野先生がドラマでは小野先生に(なんなら石野先生にして欲しかった)、オカルト女子、森さんがちょっと主張の激しいだけの吉野さんになっていた。まだここまでの変更ならいい。

不可解なのはこれからだ。まず、原作にいてドラマにはいない千家の役割をなぜか古谷(最初はじめ達と最も行動を共にする)と真壁(深町へのいじめを目撃)のふたりが担う。しかも、古谷はのちのちにいじめグループのリーダー格と判明する。なぜ最初はじめ達と仲良さげにつるんでいたんだろうか。例えば古谷が「金田一にリーダー格と思われたらあとあと面倒なことになりそうだ」と直観を働かせて猫かぶってた、とかだったら分かる。しかし、実際は何も語られないまま話が進んだのは謎でしかない。だったら、最初から真壁に全て担って欲しかった。

ほかにもある。原作では古谷が最初の犠牲者なのに、ドラマではなぜか最後の犠牲者になっている。最後の犠牲者は犯人に怯えるあまりに言われるがままに「告白文(遺書)」を書かせられる役割。原作では気の弱そうな仁藤がその役割なのはわかるが、ドラマの古谷が急に気弱になって怯えて書いてるのは違和感しかなかった。「おれもきっと殺される」と古谷が思った描写とかもなかった。

どちらのケースも尺が足りないから想像におまかせという意図なのだろうか。それでも一言でもいいから、何か説明を入れてほしかった。それさえも無理だったのだろうか。

そして、ドラマだけでなく原作でも言えることだが、全部の回答を同じにマークするのは不自然だ。それだけのぞき込んでいたのに監督の先生に見つからなかったのも不可解。はじめの答案を室井がマークシート丸写しする場面はドラマでは輪をかけて不自然になってしまっていた。

原作でももともとは謎解き部分以外のストーリーは印象深く、好きな話のひとつではある。それだけに不自然さが目立っていることが残念だった話でもある。そんな原作の不自然さをなくして欲しかったにもかかわらず、ドラマでは逆になぜかいろいろな改変が入り、ますます不自然が増しているという現実。以降の金田一少年でリメイクしてあるか、なければ5代目でリメイクしてくれるのを祈りたい。