ドラマ「金田一少年の事件簿」第1シーズン(堂本剛Ver) 【第2話”悲恋湖殺人事件”感想】”カルネアデスの板”という重いテーマを語るには短かった

広告

ドラマ「金田一少年の事件簿」第1シーズン(堂本剛Ver) 【第2話”悲恋湖殺人事件”感想】”カルネアデスの板”という重いテーマを語るには短かった

※この記事は<2022年4月12日 >に執筆したものを再掲載したものです※

ついに一挙放送の最終段階、「金田一少年の事件簿」の第1シーズンが始まった。

お話は「悲恋湖殺人事件」。(原作単行本では6~7巻に収録)何度も読んでいることもあり、なんとなく流れも犯人も覚えてる状態で今回は見ていった。そうして終わりまで見ていくと、話的にやっぱり1枠じゃ足りないなと感じた。(視聴後、原作も読み返した)

ただ、第2シーズンでもそうだっただけに、こんなもんなんだと思うしかない。原作もののドラマ化の難しさかもしれない。その上で考えてみると、話としてかなりよくまとまってはいると思う。ドラマも始まって間もないこの段階で、と考えるとよりそう思う。

とは言え、「悲恋湖殺人事件」という話を原作で改めて読み返してみると思った以上に重いテーマを含んでいる。だが、ドラマではそれが十二分に生かされていなかったなとはやっぱり感じてしまうのだ。そのテーマが”カルネアデスの板”である。

これは、多くの人を助けるためにあるいは自分が助かるためにほかの人の命を犠牲にしてしまうこと。(映画「タイタニック」を観た方は何となく想像できるかもしれない)そして、その行為は法律上では緊急避難と言って咎められないこと。ざっくり言えばそういう話で、原作でもなかなかリアルに語られている、とてもとても重い話だ。

そういう状況で愛しい人を失った悲しさと怒りによって、今回の犯人が生まれてしまったのだ。そのため犯人は直接は関係のない人まで殺めていることも含めて、より許せない人物ではある。(関係あっても殺人がいいということでは決してない。念のため)だが、じぶんが同じ立場なら”絶対”同じことをしないか、と言えば何も言えなくなる。まず同じ立場に立ったことはないし(きっと誰も立ちたくもないだろう)、”絶対”なんて誰にも言えないと思うからだ。それぐらい重い話なのだが、ドラマを見ただけではきっと重みがあまり伝わってこないように感じるのが残念だった。

こうして見ていくと(第2シーズンも含めて)、「金田一少年の事件簿」ってひとつの話をひと枠(1時間枠)で収めることはやっぱりかなり無理があるのではないだろうか。それだけ登場人物、特に犯人まわりにドラマがあり、時にとても重いテーマも含んでる。それが「金田一少年の事件簿」という作品なのだと思う。

とは言え、ドラマ化した「金田一少年」も観たい気持ちも大きく、難しいながらも再びドラマ化してくれたことが嬉しい。だからこと、5代目では今までのシリーズの経験を生かして、より納得できる作品が誕生することを願ってやまない※。

※注)筆者は松潤版、山田くん版のはほとんど見てない状態で書いています